オタワ憲章(Ottawa Charter for Health Promotion)とは
1986年、カナダのオタワで開催された「第1回国際ヘルスプロモーション会議」で採択された国際的な枠組みです。オタワ憲章は、ヘルスプロモーションの理念と実践の指針を示し、世界的に健康増進の取り組みを推進する基盤となりました。
オタワ憲章が生まれた背景
1980年代、慢性疾患や生活習慣病が増加し、医療費の増大が各国の課題となる中、健康問題を解決するためには、医療だけでなく、健康そのものを促進するアプローチが必要とされました。特に以下の点が課題として浮上していました。
- 健康の社会的決定要因(貧困、教育、環境など)の影響
- 医療モデルから予防・健康促進への転換
- 個人だけでなく、社会全体での健康づくりの重要性
こうした背景から、健康を「人々が自分自身やその環境を改善し、より良い健康状態を目指すことを可能にする積極的なプロセス」と再定義し、包括的な戦略が必要とされたのです。
1980年代、増加した世界的な健康問題
アメリカでの慢性疾患の増加
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肥満と糖尿病の急増
- 1980年代初頭、アメリカでは肥満率が成人の約15%でしたが、急激に増加し始め、1989年までに20%近くに達しました。これに伴い、2型糖尿病の発症率も上昇しました。
- 主な原因として、加工食品の普及、高カロリー食品の消費、運動不足が挙げられます。
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心血管疾患の流行
- 心臓病と脳卒中が、依然として主要な死亡原因でした。特に、高脂肪食や喫煙が心血管疾患リスクを高めていたことが明らかにされ、予防策が急務となりました。
ヨーロッパでの喫煙関連疾患の増加
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肺がんと喫煙
- 1980年代、ヨーロッパでは肺がんの発症率が特に男性で増加しました。これは喫煙率の高さが主要因とされ、たばこの健康への影響が社会的に問題視されるようになりました。
- 一部の国ではこの時期にたばこ広告規制が始まりましたが、喫煙率の低下はすぐには見られませんでした。
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慢性閉塞性肺疾患(COPD)の増加
- 喫煙に起因する慢性閉塞性肺疾患の患者数が増加。特に、都市部での大気汚染と喫煙習慣の相乗効果が原因として指摘されました。
日本での生活習慣病の増加
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高血圧と脳卒中
- 1980年代、日本では高血圧の罹患率が高く、脳卒中が主要な死亡原因の1つでした。この時期、高塩分摂取が特に東北地方で問題視され、減塩運動が始まりました。
- 厚生労働省が進めた「減塩運動」の普及により、1980年代後半から改善の兆しが見え始めました。
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糖尿病の増加
- 高齢化と都市化に伴う食生活の変化により、日本でも糖尿病患者数が増加しました。特に、白米中心の食事と運動不足が問題となり、食生活改善が重要課題として認識されました。
オタワ憲章の主な内容
オタワ憲章では、ヘルスプロモーションを実現するための基本的な要素が示されています。以下がその主な内容です。
健康の定義の再確認
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- 健康とは、「単に病気や虚弱でない状態ではなく、完全な身体的、精神的、社会的な福祉の状態である」(WHO憲章より)という定義を再確認しました。
ヘルスプロモーションの目標
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- 個人が自らの健康を管理し、改善できる力を得ること。
- 社会全体での健康的な環境の創出。
ヘルスプロモーションの5つの活動領域
以下の5つの領域が提唱され、現在でも健康政策や実践の基本指針として活用されています。
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- 健康的な公共政策の策定
- 政府や地域レベルで健康を優先する政策を設計・実行。
- 例:禁煙法、健康増進法、栄養改善プログラム。
- 環境の整備
- 健康的な選択がしやすい社会環境を整える。
- 例:歩行者専用道路の整備、清潔な飲料水の提供。
- 地域活動の強化
- 地域社会のニーズに応じた健康プログラムの実施。
- 例:地域住民主体の健康イベント、住民協働の運動。
- 個人技術の開発
- 個々人が健康的な選択を行えるようなスキルや知識の提供。
- 例:健康教育、メディアを通じた啓発活動。
- ヘルスケアサービスの方向転換
- 従来の医療提供型から予防と健康増進に重心を移す。
- 例:病院での健康教育プログラムの拡充。
- 健康的な公共政策の策定
オタワ憲章の影響とその後の展開
オタワ憲章の影響:感染症から慢性疾患への移行
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疫学の転換
- 世界保健機関(WHO)は、1980年代に「感染症から非感染性疾患への移行(epidemiological transition)」を提唱しました。これは、特に高所得国で、感染症による死亡率が減少する一方、心血管疾患、がん、糖尿病などの慢性疾患の比率が急増していることを指摘したものです。
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高所得国と低所得国の格差
- 高所得国では慢性疾患が増加する一方で、低所得国では感染症と慢性疾患が二重負担として社会を圧迫していました。この「二重負担」は現在でも続いている課題です。
オタワ憲章からその後の展開
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国際的な影響 オタワ憲章は、国連加盟国をはじめとする多くの国で健康政策の基盤となりました。その後、1990年代以降もヘルスプロモーションに関する国際会議が定期的に開催され、内容が発展しています。
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日本における応用 日本では、ヘルスプロモーションの考え方をもとに「健康日本21」などの国民健康増進運動が実施されています。また、オタワ憲章の理念を反映した取り組みが地域レベルで広がっています。
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SDGsとの関連 現在のSDGs(持続可能な開発目標)の中でも、「すべての人に健康と福祉を」という目標(ゴール3)はオタワ憲章の理念と一致しています。特に、健康の社会的決定要因を改善するアプローチは、持続可能な開発に欠かせない視点です。
今後の課題と展望
オタワ憲章の理念は今日でも有効ですが、以下の点でさらなる進化が求められています。
- グローバルな健康格差の解消
- デジタルヘルスの活用と課題
- 高齢化社会に対応した新しい健康促進の枠組み
これらの課題を克服することで、オタワ憲章の理念をさらに現代的に発展させ、より多くの人々が健康的な生活を送れるようになるでしょう。
この記事はきりんツールのAIによる自動生成機能で作成されました
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